曹操兖州で人材を求める 謀臣の集結
布告を見て、荀彧・荀攸叔姉弟、郭嘉、程昱、劉曄などの優れた謀臣が曹操に仕えるようになった。荀彧は潁川の名士であり、王佐の才を持っていた。荀彧は曹操の布告を見て、曹操が天下を安寧にするための真の志を持っていると判断し、曹操のもとに赴いた。曹操は荀彧と対話した後、荀彧の才気に驚き、「吾の子房(張良)だ!」と称え、馬上で荀彧を重要な位置に任命した。荀彧は「奉天子以令不臣」の策を提案し、献帝を迎えて朝廷の権力を掌握することで天下を支配する道を指し示した。この策は曹操の今後の戦略の基本となり、曹操はこの策に従って行動することになる。荀彧の弟である荀攸も、兄に従って曹操に仕えた。荀攸は計略に長けており、多くの重要な戦いで曹操に献策し、勝利に貢献した。郭嘉は潁川の天才的な謀臣であり、年少でありながら卓越した洞察力を持っていた。郭嘉は袁紹のもとに仕えていたが、袁紹の無策を見抜き、曹操のもとに転じた。曹操は郭嘉の才気を認め、「吾の奇佐だ!」と称え、郭嘉を身近に置いて重要な計画を諮問した。程昱は兖州の名士であり、曹操が兖州に入った際に最初に仕えた謀臣の一人である。程昱は実務に長けており、兖州の治安維持や兵糧の確保などに尽力した。劉曄は淮南の名士であり、知謀と武勇の両方に優れており、曹操のもとに仕えて多くの功績を上げた。これらの優れた謀臣たちが曹操に集結することで、曹操の勢力は急速に強まり、天下を争うための基盤が固まった。