袁紹冀州を奪う 韓馥の譲位
袁紹は孫堅と決別した後、冀州を奪う計画を立てた。冀州は中国北部の重要な地域であり、土地が肥沃で、人口が多く、兵源や食料を豊富に確保できるため、天下を争う上で不可欠な地盤となる。当時、冀州の牧・韓馥は性格が弱気で、決断力に乏しく、袁紹の威圧に怯えていた。韓馥は袁紹の実力を知っており、袁紹に対しては常に警戒しながらも、敢えて対立することができなかった。袁紹は韓馥の性格を知っており、冀州を容易に奪えると判断し、計画を立てた。袁紹は公孫瓚に密使を送り「韓馥を共に攻撃し、冀州を分け合おう」と誘い、公孫瓚を説得した。公孫瓚は幽州の牧であり、強力な騎兵を率いており、冀州を欲していた。公孫瓚は袁紹の提案を喜んで受け入れ、「韓馥は弱気な男だから、我々が共に攻撃すれば、容易に冀州を奪える。その後、冀州を半分ずつ分け合おう」と答えた。袁紹は公孫瓚の同意を得た後、さらに韓馥の部下に工作を行い、韓馥を不信任にするように説得した。袁紹は「韓馥は無能な君主であり、冀州の百姓を苦しめている。汝たちが吾に仕えれば、将来的に高官を得ることができる」と韓馥の部下に誘い、多くの部下を自分の側に引き寄せた。こうして、袁紹は冀州を奪うための準備を整えた。