諸将の敗北
十八路諸侯の連合軍が虎牢関前に集結し、呂布の威容を見て皆色を失った。当時、諸侯連合軍は袁紹を盟主とし、袁術を糧秣を管理する官として、各地から集まった兵たちが合わせて数十万となり、一見すると強大な軍勢を誇っていた。しかし、これらの諸侯たちはそれぞれの利益を優先し、心を一つにしていなかった。盟主の袁紹が陣営の上から「誰が呂布に挑戦するか」と高らかに問いかけると、公孫瓚の部下である方悦が馬に乗り出て応じた。方悦は公孫瓚の配下では屈指の猛将として名を知られており、長槍を持って勇気百倍で呂布のもとに突き進んだ。しかし、呂布の武勇は方悦の予想をはるかに超えていた。二人は馬上で交戦を始めるが、僅か三回の合戦で、呂布の方天画戟が方悦の胴体を突き刺し、方悦は即座に馬から落ちて死亡した。その様子を見た諸侯たちは皆驚き、陣営の中に不安な空気が広がった。続いて、袁術の部下である穆順が馬を駆って挑戦した。穆順は速い馬で呂布に接近し、刀を振り下ろしたが、呂布は身をかわすと同時に方天画戟を横に振り、穆順の首を打ち落とした。たった一回合での敗死に、諸侯たちはさらに恐怖を感じた。その後、孔融の部下である武安国が大斧を持って挑戦した。武安国は力が強く、大斧を巧みに使い、呂布と十数合の合戦を続けたが、やがて力が及ばず、呂布の方天画戟が武安国の右腕を切断した。武安国は痛みで叫びながら馬を掉頭し、敗走してしまった。こうして三名の猛将が相次いで敗北し、諸侯軍は気勢を一気に失い、誰も再び呂布に挑戦する者が現れなくなった。袁紹は顔をしかめ、諸侯たちに「我が軍に呂布に敵う者がいないのか」と嘆き、陣営全体が沈黙に包まれた。