袁術、皇帝に即位して僭号する
袁術は伝国玉璽を得たことを機に、皇帝に即位する計画を立てた。袁術は袁紹の弟であり、江東一帯に勢力を持っていた。袁術は「吾は袁氏の嫡流であり、伝国玉璽を得たから、皇帝に即位する資格がある」と主張した。袁術は建安二年に寿春で皇帝に即位し、「仲氏」という国号を定めた。袁術は皇帝に即位した後、宮殿を建て、妃嬪を立て、朝廷の制度を整えた。しかし、天下の諸侯は袁術の僭号を認めず、曹操は献帝の命令を奉じて袁術を攻撃することを宣言した。袁紹も袁術の僭号を非難し、袁術と決別した。袁術は諸侯の反対にもかかわらず、皇帝の威を張り、百姓に重税を課した。これにより、袁術の領土では百姓が苦しみ、袁術の士気は低下した。袁術はさらに呂布に同盟を提案したが、呂布は袁術の僭号を非難して拒否した。