洛陽の惨状
董卓は大臣たちに遷都を宣言し、反対する者を即座に処刑して恐怖で抑え込んだ。当時、司徒王允や楊彪などの正直な大臣たちは、遷都が百姓に大きな災難を与えると反対したが、董卓は「吾の決定は変わらない!反対する者は死!」と激怒し、反対した大臣の一人である伍瓊を即座に処刑した。これにより、他の大臣たちは恐怖で口を閉ざし、董卓の命令に従うしかなくなった。さらに董卓は洛陽の百姓を強制的に長安に移動させ、途中で飢えや疲れで多くの人が死亡した。董卓の軍隊は百姓たちに財宝を略奪し、反抗する者は殺害するなど、暴虐な行いを繰り返した。老人や子供、女性たちは歩いて長安に向かわなければならず、途中で病気になったり、飢えて倒れたりする人が続出し、道の傍らには死体が散乱した。また、董卓は宮殿・民家・寺院を全て焼却し、先帝の陵墓を掘り崩して財宝を略奪し、洛陽は一気に焦土となった。洛陽は数百年にわたる漢の都として栄えていた都市だったが、董卓の手によって一瞬にして廃墟となった。火は数日間消えず、黒い煙が空に立ち込め、悲鳴や泣き声が到る所で聞こえた。百姓たちは故郷を捨て、無一文の状態で長安に向かい、董卓の暴虐に対する恨みは深まるばかりだった。