劉備、益州を望む 張松の登場
荊州を安定させた劉備は、諸葛亮の進言に従い、益州獲得の機をうかがっていた。益州は「天府の国」と呼ばれ、土地は肥沃で、民は豊かであった。当時、益州を治めていたのは劉璋である。しかし劉璋は暗愚で、配下の張松・法正らは不満を抱いていた。ある日、張松は曹操のもとへ使者として赴いたが、曹操は傲慢な態度で彼を冷たく扱った。張松は怒り、帰り道に荊州を通って劉備を訪ねた。劉備は張松を厚くもてなし、七日間にわたって宴を開き、決して益州のことを口にしなかった。張松は劉備の仁徳に深く感じ入り、別れ際に自ら進んで益州の地図を差し出し、「益州を将軍に譲りたい」と申し出た。劉備は驚いて「それはできない」と辞退したが、張松は「将軍こそ益州の主にふさわしい」と強く勧めた。